アオイネコ

霞を食って生きるのが目標。

約束の場所を失くした世界で、それでも・・・、これから僕たちは生き始める。

今更ですけど去年、「君の名は。」観たんですよ。元々新海誠監督の作品は好きで、これまでに「ほしのこえ」「雲のむこう、約束の場所」は観たんですが、開始3分で「あ、新海誠だ」と思えるあの映像というのは非情に安心感というか、「あーこれ知ってる」と思ええてよかったです。やっぱりあの空の描き方は綺麗ですね。

今になってネタバレも無いモンですが、話の筋を追っていくとおおむねこれまでの新海誠作品と通じるというか、両主人公の男の子と女の子をつなぐものがスマートフォン(携帯電話)というのは「ほしのこえ」だし、夢を通じてつながるというのは「雲のむこう~」なワケですね。

で、最初の3分の1くらいの時間はコミカルで穏やかな日常を描き、その後突如として不穏な空気を出して次の3分の1は不安を掻き立てる重い展開で、残りの3分の1で結末に向けて全てをほどいていく構成も他の作品に通じるワケです。

ただ、これだけは過去の作品と違うなと思ったのは、「君の名は。」では最後に三葉と瀧の二人が現実の世界で出会うところで、そこにハッピーエンドが見えるところです。「ほしのこえ」ではミカコとノボルの思いは時空を越えて通じはしたけど実際は何万光年も離れたままだし、「雲のむこう~」ではサユリのヒロキに対する気持ちは最後には消えてしまってるワケじゃないですか。

だからわかりやすくハッピーエンドで終えた「君の名は。」は新海誠の良心というか、過去の作品よりもより多くの人が観るであろうことを念頭に、爽やかな気持ちで観賞を終えられる形にしたのかなと。そこに通じるような話は以前、押井守日経ビジネスオンラインの記事で語っていました。

 

――押井監督の映画も苦い結末ぐらいまではあっても、そういえば救いようのないエンディングというのは確かにないですね。

押井:それは師匠(鳥海永行氏)に言われたから。「中身で何をやってもお前の自由かもしれないけどラストシーンだけは大事にしろ。嘘でもいいんだから、お客さんが気持よく椅子を立てるようにしとけ」って言われたんです。

組織の中でも自分の獲得目標を手放すな (5ページ目):日経ビジネスオンライン

 

君の名は。」のお話で一番大事なのは二人が夢を通じてつながることと、そのことによって未来が変わるということであって、それ以外の要素はお話に説得力やボリュームを持たせるためのものではあるけど本筋ではない。

過去の作品の流れを踏襲するなら、たぶん三葉と瀧が現実の世界で出会う必要は無いハズなんですよ。糸守の人々が避難できて生き残ったことが明らかになった時点でエンディングでもよくて、大人になった三葉が東京での生活を送っていることがわかるシーンでエンディングでもよかった。あるいは二人がお互いを探して駆け回るけれど、やっぱり出会えませんでした、でも二人とも平穏な日常を送っているよ、という形でのエンディングでもよかった。

そこを二人がちゃんと出会う形で終えることで、観るほうがすっきりとした気分になるのは間違いないし、納得できる感じは強い。二人が出会わないと消化不良な感じはありますよね。それが過去の新海誠作品によくあるパターンだったとしても。

ところが、これは全くの個人的な感想なんですけど、例えば「雲のむこう~」と「君の名は。」を比較したときに、どちらがより長い間心に残る作品だったか?と聞かれると、「雲のむこう~」なんですよ。今思い返しても作品としての完成度は「君の名は。」の方が高いし、比較すると(10年以上前の作品であることを差し引いても)「雲のむこう~」の方が荒さはあるワケだけれども、でも「雲のむこう~」の方が印象深い。

そこはやっぱり結末の違いというか、主人公の思いが叶ったかどうかだと思うんですよ。「君の名は。」では二人が現実の世界で出会えて、これがなんでハッピーエンドかっていうと二人がお互いに会いたいんだっていう「目的」が叶ったワケです。対して「雲のむこう~」ではヒロキはサユリを乗せてヴェラシーラをユニオンの塔まで飛ばすっていう具体的な「目標」は達成したけれど、サユリの方はヒロキに対する夢の中での気持ちが消えちゃって、二人の「目的」は達成できなかった。

 

■ヴェラシーラ内
 「ねぇ、サユリ・・・。約束の場所だよ」
 「あの翼・・・、ヴェラシーラ」
 「あぁ、夢が消えていく。ああ、そうか・・・、私がこれから何をなくすのか、わかった」
 「神さま」
 「「神さま、どうか・・・」」
 「サユリを、眠りから覚まさせてください。どうか・・・」
 「おねがい、目覚めてから一瞬だけでもいいの。今の気持ちを消さないでください。
 ヒロキくんに私は伝えなきゃ、私たちの夢での心のつながりがどんなに特別なものだったか。
 誰もいない世界で、私がどんなにヒロキくんを求めていて、ヒロキくんがどんなに私を求めていたか」
 「サユリ」
 「お願い。私が今まで、どんなにヒロキくんのことを好きだったか、それだけを伝えることが出来れば、
 私は他にはなにもいりません。どうか一瞬だけでも、この気持ちを・・・」
 「サユリ?」
 「フジサワくん・・・」

■アーミーカレッジ
 「異相変換、急速に拡大! 蝦夷が、のみこまれていきます!」

■ヴェラシーラ内
 「サユリ?」
 「わたし・・・」
 「わたし 何かあなたにいわなくちゃ・・・とても大切な・・・消えちゃった・・・」
 「大丈夫だよ、目が覚めたんだから。これから全部、また・・・」
 「おかえり、サユリ」


 約束の場所を失くした世界で、それでも・・・、これから僕たちは生き始める。

http://www.eurus.dti.ne.jp/~nagi/kumonomukou01.htm

(※文字色は勝手に変えました) 

 

ここが切ないところなんですけど、観るほうはここまで観てきた気持ちの置きどころが無いんですよね。あー切ない。どうしたって感情移入するじゃないですか。ヒロキがサユリのこと好きだなんて最初の方から明らかだし、二人の思いが通じ合ってほしいよねっていう。だから「納得」のしようが無いというか、「めでたしめでたし」みたいな結論が観るほうに無い。観るほうの気持ちに区切りがつかない。でもその方が、というか、だからこそ、というか、長い間心に残ったんじゃないかと思うワケです。

この記事のタイトルは最後のヒロキのモノローグなんですけど、ヒロキもサユリも当然というかこの先も生き続ける。でもどうやって生きているのか想像しようがないんですよ。「君の名は。」は割と想像つくじゃないですか。あの二人絶対くっつくだろ。当たり前だろ。でも「雲のむこう~」の世界にも当然未来があって、でもヒロキとサユリはくっつかないし、その先どうなるかわからない。考えても仕方ないけど、考え始めても結論は出ない。抜けなくなったトゲみたいに、仕方ないんだけどでも時々チクリと存在をアピールしてくるワケです。

これ、別にどっちがいいとかいう話ではないですからね。これって好みだよね。自分はドラマとか映画とか滅多に観ないんだけど、たぶん、こういう長い間心に留まる作品が好きなんですよ。でも、物語に対してがっぷりホールドしにかかって長い間離さないから、次々にたくさんの作品を観るということができない。映画とかたくさん観る人は、そういう気持ちの整理が上手いのかもしれませんね。

 

さて、朝飯食おう。